酔っ払いの国づくり
7月1日はカナダの建国記念日「カナダ・デー」です。

首都オタワではウィリアム王子とキャサリン妃をお迎えして、祝典が盛大に

開催されました。

canada day
canada day2
(画像はお借りしています。)

上が昨日の写真、下が今日の写真です。

キャサリン妃、今回のカナダ訪問にあたりスタイリストは随行していないそうですが

婚約写真で着用した白いワンピースを赤いメープルハットと一緒に着こなされています。

カナダ出身のデザイナーの服をチョイスしたり、女王からお借りしたというブローチが

さりげなく付けられていたり、本当にセンスの良いお方だと思います。


さて、本日カナダは144回目の誕生日を迎えたわけなのですが、そもそもカナダという国は

どのようにしてできたのでしょうか。


18世紀後半以前の歴史はここでは割愛させていただきますが、当時『カナダ(現在のオンタリオ州と

ケベック州にあたる地域)』は英国の植民地でした。

『カナダ』はすでに幾度か米国からの攻撃を撃退していたのですが、産業革命で急速に発展する

米国からの更なる侵攻を防ぐために国力を強化する必要がありました。


一方、同じく英国の植民地であったカナダ東海岸の3州(ノバ・スコシア、ニュー・ブランズウィック、

プリンス・エドワード島)はMaritime Unionという形での同盟国家を目指した会議を開こうと

していました。

英国側としても植民地への経済的・政治的な負担を軽減したい思惑があったので、この同盟に

賛成でした。


その話を聞きつけた『カナダ』から会議へ参加したいとの申し出があり、『カナダ』を含めた

4つの州で会議を行うことにしました。


そして1864年、プリンス・エドワード島で行われた会議(シャーロットタウン会議)の結果、

4州を合わせた自治領を作ることが望ましいということになり、1867年7月1日に英国議会に

よって制定された法律により『イギリス自治領カナダ』(英連邦の下でカナダという名前で

自治権を有する連邦)として統一政府が作られました。

この日をカナダの始まりとしています。


と、ここまではカナダ建国のオフィシャルな話ですが・・・

そもそも東海岸3州の同盟を目指していただけなのになぜこんな形で国がまとまってしまったのか

少々違和感があります。


ここからは一部のノバ・スコシア住民に語り継がれている裏のお話。(信じるか否かはおまかせします。)


当時のノバ・スコシアは造船業で強力な経済力を手にし、大変繁栄した土地でした。

そこで大西洋沿岸の3州で同盟を結び、自らがリーダーとなることで蒸気船の開発・生産に

さらに力を注ぎたかったのです。

そのため『カナダ』が会議に参加したいと申し出てきたときも正直乗り気ではありませんでした。

まあ参加するだけならよかろうということで、『カナダ』の参加を認めた東海岸3州。


ところがノバ・スコシアメンバーはいわゆる「のんべえ」が多かったらしく、シャーロットタウンでの

大事な会議でも9日間飲み続けてすっかり出来上がってしまい支離滅裂。

プリンス・エドワード島メンバーの抵抗もむなしく、ノバ・スコシアメンバーは東海岸3州の経済力を

元手に大陸横断鉄道を作りたかった『カナダ』メンバーたちの思うように言いくるめられてしまった

ようです。

ノバ・スコシアメンバーが正気に戻ったときには、時すでに遅し。

政治・経済の中枢は『カナダ』のオンタリオ州に持っていかれていました。


こうしてカナダという国は出来上がりました。(なんか残念な感じです。)


ノバ・スコシア住民の中には『カナダ』にしてやられた~という気分の人たちもいるようですが、

現在のノバ・スコシアはカナダで最もアル中が多い州のひとつとして不名誉な地位を獲得しています。

今も昔も変わらずというところでしょうか・・・


義父の友人にも四六時中陽気に酔っ払ってるおっちゃんがいますが(つまりアル中)、

やっぱりね、物事大小あれども飲みすぎはあきません、飲みすぎは。




blog サラリーマンからのありがたい教え、「飲んでも飲まれるな」。by小次郎
Posted by aomu0815
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[カナダの歴史
なぜボストンなのか。
カナダ、アメリカで構成されるナショナル・ホッケー・リーグ(NHL)の

頂点を決める「スタンレー・カップ・ファイナル」が佳境を迎えています。


対決しているのは、カナダ西海岸バンクーバーを拠点とする「カナックス」と

アメリカ東海岸ボストンを拠点をする「ブルーインズ」。


7戦中先に4勝したほうが王者となるのですが、現在3対2で「カナックス」が

優勝に王手をかけています。


ここノバ・スコシア州アマーストでも町のいたるところで応援するチームの

ユニフォームを着た人や窓際にユニフォームや旗を立てている家を見かけますが

意外なことにそれらはすべて「ブルーインズ」のもの。


もちろんここにも「カナックス」を応援している人たちもいるのでしょうが、

なぜノバ・スコシアの人々が自国ではなくアメリカのチームを応援するのでしょうか。

人それぞれ色々理由はあるかと思いますが、どうやらボストンとノバ・スコシア州の

間にある歴史が関係しているようです。


時はさかのぼり、1917年。

ノバ・スコシア州の州都ハリファックスは北大西洋最大の貿易港のひとつとして

知られており、毎日たくさんの外来船が行き来していました。

12月6日、この港に入港していたフランス船籍のモンブラン号とベルギー船籍の貨物船の間に

衝突事故が起こりました。

運が悪いことに、モンブラン号に積載されていたのは2600トンの火薬。


大量の火薬が爆発したことによる火災や津波、爆風によりで町は壊滅的な

被害を受けました。

死者約2千人、負傷者約9千人。

当時のハリファックスの人口は約5万人(現在は約35万人)だったそうですから

その数が被害の大きさを物語ります。

この大爆発は人災による爆発事故としては人類史上最悪の事故として記録されています。


ハリファックスから最も近い大都市は米国のボストン。

事故を知ったボストンの人々は医師や看護士、救援隊や物資を送り込み、ひどい状況の中

懸命の救援活動を展開しました。

ハリファックスの人々はボストンの人々のこうした行動に感謝の気持ちを持ち続け、以来

毎年クリスマスの時期になると巨大なもみの木をボストンに贈っています。

bostontree.jpg
(ノバ・スコシアからボストンへ配達する作業の様子。画像はお借りしています。)


ボストンの人々はクリスマスツリーを見てノバ・スコシアの人々に思いを馳せ、

ノバ・スコシアの人々はボストンのチームを地元のチームのように応援する。

スタンレーカップをどちらのチームが手にするかはまだ分かりませんが

街角でみる「ブルーインズ」のユニフォームを見て両者の見えない強い絆を感じたのでした。



blog 友人がもみの木と一緒に運ばれてしまうこともあります。by小次郎


Posted by aomu0815
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[カナダの歴史
カナダのヒロイン
今日はカナダの歴史を少々。

と言いましても、私は山〇出版社さんの教科書で世界史をかじった人間ですが、
カナダの歴史ってあんまり詳しく習った記憶がありません。

留学するまでカナダの歴史って???だったのですが、興味をもって勉強してみると
なかなか面白いものです。

今日ご紹介するカナダの歴史上の人物は「ローラ・シーコード(Laura Secord)」。

彼女は『カナダを救ったヒロイン』として知られています。


ローラ・シーコードは1775年マサチューセッツで生まれました。

(いきなりローラって米国人やんって感じですが、この頃は13の植民地が英国からの
独立戦争を起こしている最中で、米国は(カナダも)国家として成り立ってない状態です。
よって国境すらはっきりしていませんでしたが、1783年のパリ条約で現在のような
北緯49度の国境ができました。)

1795年ローラ一家は現在のカナダ・オンタリオ州に渡り、2年後彼女は英国王党派の夫
ジェームスと結婚し、米国との国境とナイアガラの滝に近い町に家を構えました。

1812年、現在のカナダ領土を獲得しようとした米軍とカナダ側にいた英軍の間に
米英戦争が起こり、英軍として戦った夫ジェームスは銃撃を受けて負傷してしまいました。

米軍がローラの住む町にも侵攻してくるなか、1813年シーコード家は米軍の宿舎となり、
ローラは米軍兵士への食事の接待などをしていました。

そこでローラは偶然に、米軍兵士たちがビーバーダムズという町にいる英軍への奇襲攻撃作戦に
ついて話しているのを聞いてしまったのです。

それを聞いたローラは、「これは早く知らせないと!」と怪我して動けない夫の代わりに
自ら歩いて英軍基地まで知らせにいったのです。

ビーバーダムズまでは約30キロ。
道もない森をひたすら歩き、英軍と同盟を結んでいるインディアンの宿営地にたどりついたローラ。

インディアンたちに事情を説明すると、その後はインディアンたちがビーバーダムズの英軍
基地まで連れて行ってくれたそうです。

ローラから米軍の作戦を知らされた英軍はその裏をかき見事勝利。

その後も英軍は勢力を巻き返し、ついには米軍を撤退させるに至りました。

米軍の侵攻からカナダを守ったローラの勇気ある行動は伝説となって今も
語り継がれています。

そのローラの功績を称えた1分間のコマーシャルはこちら。




余談ですが、「ローラ・シーコード」は今ではカナダの有名チョコブランドの名前として
知られています。

secord
※写真はイースター限定販売のチョコです。

この国では、たまに殺人的な甘さのチョコに出くわすのですが、こちらのブランドの
チョコならお土産用としてもおすすめですよ



blog カナダの市原悦子さん。by小次郎


Posted by aomu0815
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[カナダの歴史
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